そういう制度があるから語学の試験があるというだけではない。制度には根拠がある。それは学問の国際性である。学術研究には国際性ということがどこかで要求される。日本教育史をやっているから外国語はいらない、と思っていてはいけない。最低、読むことと書くことは必要となってくる。外国の日本研究者が自分の研究論文に着目するかどうかだって、タイトルだけでも英語で検索できなければならないだろう。もっとも、外国語の苦手な日本研究者は多い。多いけれど最低レベルは維持してほしいのだ。
それと、日本教育史であっても例えば戦後教育史などは占領軍文書なんかが読めないとまずいということも出てくる。なにしろアメリカのアーカイブで占領軍文書が公開されてから戦後史研究はこれらを見ないでは研究とは評価されないものになっているのだ。明治期だって、大正期だって外国語の史料は出てくるし、時には文献も読まなくてはならない。だから外国語は必要なのだ。
ところが、社会人諸氏は職業生活の間、外国語を使わずに済ませてきている人が多い。そして外国語の能力というのは使わないとそれだけ落ちてしまうのだ。だから外国語はこまめに続けなくてはいけない。にもかかわらず、入試に際して全然外国語の準備をしていない人が目立つ。外国語はできなければそれだけで、たとえ口述がいくらよくても不合格となる。嘗めてはいけないのだ。それに社会人諸氏は若者たちとはちがい、もう既に若くはない人がほとんどであろう。25歳を過ぎれば、語学脳は退化している。その文努力は必要なのだ。通勤途上に高校生を見るといい。ともかく英単語のひとつも覚えようとしているだろう。あの柔らかい脳の時代に生きる彼らにして毎日努力しているのに、脳に衰えの出ている人が外国語をテキトーに考えているのは、とんでもない履き違えと言える。高校生の倍は勉強せんといかんのじゃ。
演習 大学院入試問題―語学(著)姫野 俊一,フレッド・S. マイヤース
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